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サーフィン そのきっかけは? その2

その1 その2 その3 その4

「だいたい、サーフィンて何処でやるんやろ」
「海やん」
「海は分かってるわい。 どこの海にあんな波があるかというこっちゃ」
「そら誰かに聞かなあかんな」
「なんか伊勢方面へ行ってるらしいで」
「サーフボードも買わなあかんな」
「ウェットスーツとか要るらしいで」
「いまからずぶの素人が、上手いサーファーに混じって練習するのって恥ずかしくないか?」
「そうや。いややなぁ。 誰も居ないとこで練習してからデビューする方法はないんかな」
てなわけで、話はどんどん膨らんで、とうとう、誰も名前すら知らないような南の島(徳之島)でサーフィンが出来るらしい、そこはほとんどサーファーが居ないので好きなだけ練習できるらしい、なぁんて話になり一気に徳之島へサーフィンをしに行くことに・・・
若いって無謀ですよね。

レンタルサーフボードなどあるはずもない当時ですから、まず必要な道具を調達しないと始まりません。

大阪ではメジャーなスポーツ用品店であるミナミの「スポ○カ」へ直行です。

暇はあるけど金はない学生の身分ですから、いきなりサーフボードを買うといっても全員が買える訳もなく、安い新品のサーフボード3枚を買い込み、別の同級生サーファーから中古のサーフボード1枚を売ってもらい、ウェットスーツを確か3〜4着、中古を売ってもらったりしながら調達してきて、それらを担いで神戸港の岸壁に立っていました。

メンバーはgeorge、SK、AG、TY、FJの5人。 1978年3月のことでした。

徳之島というのは、正式には鹿児島県内ではありますが、沖縄にごく近い南の島で、少し名の通った「奄美大島」の南西あたりにあります。

あたり前ですが、飛行機で行く金なんてありませんから、神戸から船に乗って30時間くらいかかって、ようやく徳之島到着となります。

皆さん、船に長時間乗ったことあります?
それも瀬戸内海じゃなくて太平洋で。

こんなでっかい船だから、ちょっとくらいの波では揺れないだろうと思ってましたが・・・予想は外れました。

ひとつだけ耳より情報を。
船の中のピンボールマシン(ゲーム)は、いくら揺らしてもチルトになりません。
(チルトって分かりますか? 機械を不正に揺らしてボールが落ちるのを防いだりすると”チルト”という状態になってゲームオーバしちゃうんです。地上のゲーセンのピンボールマシンでは。。)

船というのは、優雅でゆったりとした金持ちの旅行手段みたいな気でいましたけど、それは豪華客船タイタニックの世界です。

現実は、かなり大きな船ながら優雅な船旅なぁんてものではなく、沖縄や奄美方面から関西への出稼ぎ的な目的や、沖縄方面への帰省などが主な客層の実用船なんですね。

2等客室(つまり船底で6畳間くらいの畳だかゴザだかが敷かれた囲いのあるスペース)で、ひたすら寝る、寝る。
とにかく、酔い止め薬を飲んでは寝る。
ちょっと食事をしては寝る。
ちょっとゲームして寝る。

一度出航してしまうと逃げ場がありませんから、到着するまで気が狂わないように寝るんです。
寝ちゃえばいいんです。寝ちゃえば。

そのうち青白い顔をした5人の若者が、徳之島の亀徳港に降り立ちました。

その1 その2 その3 その4



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